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保呂羽山霜月神楽とは

式内社波宇志別神社(出羽国九座の一つ)に伝わる神事。神に今年の収穫を感謝し、来る年へ五穀豊穣を祈る神楽で、名前の通り霜月(11月)に行われる。現在は、新暦の11月7日・8日に行われている(元は、旧暦の同日に行われていた)。湯立神楽に属する。波宇志別神社社家・大友家に縁のある近郊の神職らが集まって神楽を行う「寄合神楽」である。

由 緒

神楽の起源については、それを示す古文書等が焼失していて定かではないとされているが、現存する最古の古文書である天正18年(1590)の記録、「保呂羽山御開山以来之次第」に記載されていることから、一般的に天正18年(1590)に始まったとされている。

昭和46年に、県の無形文化財に指定されたのを契機に、霜月神楽保存会を結成。昭和52年5月17日、国の重要無形民俗文化財に指定。代々の里宮神職の神殿において行われてきた。

霜月神楽の流れ(寄合神楽→湯立神楽を経て)

「湯立」とは、釜に湯を沸かし、その湯を振りかけることによって禊ぎ祓う、清めをする方法の一つである。この湯立を取り込んだのが、いわゆる湯立神楽で、すなわち、神を招き、楽を奏し、神哥をうたい、舞を舞いながら、湯立で清めを行ってきた。

さらにさかのぼれば、湯立神楽のもとは、明治維新に絶えた伊勢外宮の神楽役たちによる寄合神楽であったと思われる。寄合神楽に関する古い記録は見当たらないが、年に一度、霜月13日に、楽人たちが一口頭太夫(神楽役の頭の者)の家に寄りあって、五穀豊穣等の祈願の神楽を催した。この神楽の主要な点は、神殿に皇大神宮及び豊受宮を祭り、神楽役や巫女達が外宮、内宮各社の神哥をうたい、神前に供えた2つの釜により湯立をすることであったという。

湯立神楽の古風を今に伝える筆頭に、保呂羽山霜月神楽があげられている。

霜月神楽概要

霜月神楽は、伊勢流神楽湯立てと神楽が結びついたもの。(=釜を据えて湯を沸かし、巫女などが自ら、あるいは周囲の人たちに湯を振りかけて清める湯立てに、神楽が加わる。)年々霜月(今は、新暦の11月)7日夕より翌朝にかけて、代々の神主大友氏の神殿において夜を徹して行われる。戦前には、300名を超える参拝者で賑わっていた。

霜月神楽次第

(文献により、多少のずれがみられるが、基本資料として大森町郷土史を参照)

11月1日より潔斎(4足2足、魚、虫、卵、にら・ねぎ等の食べ物を絶って朝祓いをする)。

11月7日夕刻より翌朝まで、夜を徹して演じられる。

里宮の神職の大友家の一間を舞殿とし、正面の神座に、保呂羽、御嶽、高岡の三山の神を勧請するため、神棚をしつらえて三本の大幣を立てる。神棚の前には、半畳の炉を切って80本のお釜杭を立てて、二個の釜をかける。お釜杭は、火伏せ、魔よけとなるほか、川欠け(洪水で岸が欠ける)をも防ぐと言われ、お祭りが済むと参拝者達が、争ってもらいうけるという。

神楽は33番からなる。1番おきに、神楽役が湯のひたった湯ほうきを持って、四方を拝し舞う「湯加持」を舞う。11番目の天道舞が湯立ての本舞い。19番が、最も重大な「山の神舞」で、夜の丑の刻に舞う。これまでの静かな舞が荒々しい舞に変化する山の神舞は、40分にわたって大活躍する重労働で、また、技術を要す。最後に「恵比寿」を舞い、打ち身の祝儀で終わる。

参考文献

「大森町郷土史」昭和56年発行現在最新版

「日本の伝統芸能」本田安次

インターネット「フリー百科事典ウィキペディア」

インターネット「旧大森町公式ホームページ」ほか

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