芝桜再生 探訪 伝承 文化財検索

兵糧攻め

金沢柵は天然の要害です。周囲4km、高さおよそ100m、ちょうど茶飲み茶碗を伏せたような形で、いたるところに塹壕がが作られその数は4百を越えていたと言われています。現在でも百近い塹壕跡が見られます。

絶壁にはシャガが植えられ滑りやすく、なかなか落城しない柵に対して吉彦秀武は兵糧攻めを源義家に進言したのです。義家は日本で初めての兵糧攻めを敢行しました。

それ以前は、落城寸前の攻めでは女子供が逃げるのは見逃すのが暗黙のルールであったといわれています。それを無視して柵中から域外に逃れんとする者すべてを斬殺。私が持っていた八幡太郎義家のイメージは崩れてしまいました。

歴史的な人物もかような心を持っていたのかと考えると、あまりにもむごたらしい金沢の地の歴史の一ページです。

掲載している写真、画像、記事等の転載はご遠慮ください。